綺麗なものを綺麗と言うのは「サボり」

こんにちはチャドゥ(@tyandooo)です。今回は仮想通貨とはまったく関係ない雑記です。

たまには肩の力抜いて読めるものを、と記者の文章術の一つでも書いてみます。ツイッターでは普段、誤字だらけゆるゆるしかつぶやいていませんが、今回は「美」の表現について。

記者は見たもの、起こっている出来事を、そこにいない大勢の人に伝えることが仕事の一つです。コラムという例外を除けば、自分が感じたことではなく、「みんながそこにいれば、感じることのできる情報」を的確に伝えなければいけません。

つまり、景色や絵など綺麗なものを綺麗というのは「サボり」になります

なぜか、わかりますか?

 

「美」を分解して表現

綺麗、美しいなどと言った形容詞はとても主観的。つまり、それ自体では何も伝えていない上、見る人によってはそうでもない可能性がある以上はNGです。記者はこうした形容詞はあまり使いません。ちなみに「良い天気」も言いません。人によるからです。

つまり「綺麗」なものを表現する際は、何がそれを美しくたらしめているか、その理由、要素やパーツを分解し、くみ取り、表現することが必要です。

それは時に、表象だけでは足りません。絵であれば誰がどんな状況で、どんな気持ち、どんな絵の具や筆を使って、どんな時代に、何のために描いたのか。

こうした背景も見る人の気持ちに影響しますから必要な情報であればそれに触れなければ、その「美」など人の心を動かす何かを説明することは困難でしょう。

 

客観を積み重ねた「真実」

客観的とはいうなれば、自分でなくても皆がそう見るという観点です。事実やデータで裏付けていくものですね。これは例えば、仮想通貨の議論で言うと、特定の立場や感情を抜きにした前提に立った上で話せるかということです。

各人、コミュニティで共有している情報量が異なるので時に難しいことがありますが、まずはこの段階を踏まないとそもそも議論になりません。

 

話を元に戻します。客観的事実の積み上げで真実を描くと言うのが原則ということです。

逆に言えばこれが守られていない記事は、書き手の目線、つまり感情や立場が入っているとみて、読んだ方がよいです。仮想通貨ニュースにはこうしたものがたくさんあります。利害関係のある投資家が書き手であることが多いので、基本的に私は客観的事実以外の部分はほとんどを考えの参考程度に読んでいます。

 

人の想像力を奪わない

表現で言えば、ここに具体的か抽象的かというのもまたありますが、抽象的な表現は想像の余地があるので、報道記事で言えば、当たり前ですが、抽象的なものは避けます。

ただ抽象的すぎると情景が思い浮かばないので、ポエマーと言われる私ですが、客観的・具体的な事実を積み重ねながらも、あとは人の想像に委ねる方が好きです。

冒頭の写真は私が撮ったものなのでふさわしくないのですが、文章を読んでから写真を見てみてください。※報道記事スタイルではありません。

 

抽象・主観「真っ黒な夜空のキャンパスに咲く大輪の華、心を打つ夏の音が人々を魅了する。永遠にも感じる一瞬の刹那は美しさそのもの」

→ダメダメ例です。一見っぽいですが、読み終わった後におそらく脳裏に何も残らないでしょ。「人々を魅了」「美しさそのもの」は完全に主観であって本当にそうかはわかりません。

 

具体・客観「黄、橙、青、…色鮮やかな花火が次々と打ち上がる。光の残像を残しながら、交互に訪れる轟音と静けさ。アパートの屋上、夏の夜空を見上げる親子の影が揺れる」

→すべて「私でなくても」書ける事実で構成し、見上げる人の表情がどんなものか、そこはみなさんに想像をまかせたところです。

 

気軽に書くつもりが長くなりました。今日はこのあたりで。

情報の見方や議論の根本にもつながるところがあるのでそのあたりはまた別途やります。